1 北大の学生闘争の初動

 北大の学生紛争は、1969年4月10日朝、クラス帆船連合の学生が入学式上に予定された体育館を封鎖したことから始まった。これに対し、学長は「全学に訴える」という声明を発表し、封鎖を行った学生を批判した。

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入学式場封鎖に対する大学側の反応

「全学に訴える」

 大学の使命は、研究と教育を通じて、人類社会に貢献するにある。この使命達成のために大学の自治が、必要不可欠であることが、数世紀にわたる経験の集積から学び取られ、教官、学生の一致した改革への努力によって戦い取られたものである。北大の現体制には幾多の欠陥がある。これらの欠陥は改革によって除かれなければならない。しかし暴力によって破壊しなければ、よき体制は生まれない。暴力によって破壊すれば、よき体制が生まれる。という二つの命題は、浮き及び先の史実によってそれぞれ反証されている根拠のない、しかも危険極まる教条である。去る10日、入学式を暴力をもって破壊しようとしたものが、この根拠なき教条を真に受け入れていたとすれば、立証された命題と根拠なき教条とを区別しえない頭の弱さによる。この弱さは、我が国の研究教育全体の後進性を特徴づけている。この後進性の故に、かれらは権威を攻撃しながら、別の形の権威を無批判に受け入れている。学者研究者と云われる人々の中にも、大学改革によって、厳しい学問の世界が出現するのを嫌って、手段として暴力学生を「支持する」者も現れるであろう。

 学内に現れた暴力学生の行動は、私が三十五年前に目の当たりに見たナチ御用暴力学生の行動と軌を一にする。ただし、この場合、原因は後進性よりも過酷なベルサイユ条約による窮迫した生活のうちに、ヒットラーに幻想させられたバラ色の夢にあった。しかし十九世紀の始めからドイツの大学に確立されていた学習の自由が生み出す学問の世界の厳しさを嫌った所謂学者の一団が、優れた外国人並びにユダヤ系学者を追放して厳しさを骨抜きにすべく、ナチと結託して暴力学生を走狗としていた史実を想起させる。こうした破壊により、フンボルト以来、営々と気づきあげられた世界学術の最高峰は一挙にして転落し、三十五年後の今日にいたるまで回復していない。子の史実は、前述命題の明白な反証である。吾々は前者の轍を踏むまい。大学破壊の暴挙は許してはならない。教職員、学生、院生は、一致団結して暴力による大学の破壊から、わが北大を護り抜こうではないか。

 

 

北大の歴史を記録したい

 今は基本的に平和な大学である北大も、過去には学生運動など学生生活を大きく変えるような出来事もあった。このブログではそういうところから始めて北大の歴史をデジタルに記録したい。

 ブログの内容は筆者の個人的な調査によるものなので、その出典はできる限り明記するが正確性は保証できない。

 暇を持て余した学生が思い付きで始めたことなので継続するかは保証できないが、生暖かい目で見ていただければありがたい。

 

北大工学部 学部三年生